2008年12月27日土曜日
2008年12月19日金曜日
帰化日本人 だから解る日本人の美点・弱点 黄文雄+呉善花+石平 李白社 フォレスト出版 教育
呉:国連人種差別撤廃委員会(CRED)は2008年8月に、韓国は単一民族や血統を強調する教育をしているが、これは「人種差別につながるので、政府は適切な措置をとるべきだ」と勧告しています。パク・チョルヒ京仁教育大学教授は~~~「小学校の教科書には、民族文化の優秀性を強調するために他民族をけなす記述が多い。とくに、日本人は文化的に我々よりも劣等だと一貫して記述されている」
石:毛沢東が実際にやったのは近代教育ではなく反近代教育でした。もっと正確にいえば、毛沢東がやったのは何ら教育ではなく、個人的に自分の思想を植え付けるために教育を道具として使ったということです。~~~彼が一番いいたいことは、文字すら読めない無知なる農民が一番偉いということです。ようするに、彼が目指したのは愚民教育なんですよ。
黄:反日教育は中国や韓国では絶大な効果を生み出したわけですが、台湾の反日教育はあまり効果を生みませんでしたね。なぜかというと、学校で反日教育を受けても、家に帰ってから修正されるメカニズムがあるからです。親の世代が、我々の過去の経験からすれば、学校で教えていることは違うと修正していくんです。
石:日本の教育の問題点としては、伝統文化を教えないことを第一にあげたいと思います。次に、問題としたいのは、戦前に日本はいかに悪いことをしたかという観点の教育です。~~~まだあります。それは、世の中の厳しさというものを、ほとんど教えていないということです。~~~世界に対してなんて甘い幻想をもっているんだろうと感じることがたびたびです。最も典型的な幻想は、平和幻想でしょうね。もちろん、世界は平和であることが望ましい。しかし、若い人たちの間に支配的にあるのは、平和、平和と叫べば、あるいは念仏のように平和、平和と唱えれば、この世の中は平和になるという幻想なんですね。~~~他の国が攻めてきたらどうするんですか。この調子だと両手を上げて降伏する以外にないわけです。
このほかに、道徳、食事、風習、夢の章があります。
2008年12月18日木曜日
帰化日本人 だから解る日本人の美点・弱点 黄文雄+呉善花+石平 李白社 フォレスト出版 マスコミ
第一章 マスコミ
石:日本のマスコミは、とくに『朝日新聞』ですが、中国報道に関しては意図的に中国に潜在している諸問題を避けて、しかも中国のよい面をクローズアップして、それを大きく報道するんですね。中国共産党を賛美したい、中国共産党の肩をもちたいという政治的な意図が見え見えなんです。
黄:中国には日本のマスメディアに対する、管理、監督、現場指導の機構や人員があります。日本のマスメディアに対しては、24時間体制で、専門家がそれぞれのマスメディアを監督しているのです。気に食わない番組が出たらすぐに乗り込んで行って、こういう報道はしてはいけないと現場を指導し、公開謝罪させるか、裏のほうでこういうことはしないと約束させるということをやっています。
石:テレビではとくにNHKが中国賛美が目立ちます。中国製の冷凍餃子に毒薬が入っていて、大変な被害が出る事件がありましたね。これは明らかに「毒入り餃子事件」なわけですが、NHKはこの事件を「冷凍餃子事件」というタイトルで報道するんです。
黄:今の台湾のマスメディアの80パーセントが中国資本なんです。そのため、マスメディアでの言論は中国寄りでなければやれなくなってしまう。台湾の言論界が中国を美化するのはそのためです。
石:中国のジャーナリストの最大の仕事は共産党の宣伝をすることです。これをやらなければ、ジャーナリストの身分を剥奪されますからね。~~~それで次には、党から与えられた記事を書ける権限を自分の利権にするんです。おたくの企業を取り上げてあげますよとなれば、企業にはいい宣伝になりますから喜んでお金を払います。「人民日報」の記者だろうが、中央テレビ局の報道マンだろうが、そうやってお金を稼いでいるものは多いんですよ。
呉:その点では韓国もひどいものです。韓国の大手企業はどこにも、マスコミ取材を受ける部署があります。その部署では何をやるかというと、マスコミがおたくの会社についてこんな記事を書きたいといって取材にやってきたときに、そのお礼にということでマスコミになにがしかのお金を支払うんです。取材するほうがじゃなくて、取材された方がお礼をするんですよ。企業だけではなく、中央の行政機関にも、地方の行政機関にも同じようにマスコミを扱う部署があって、そのための予算がちゃんとあるそうです。
帰化日本人 だから解る日本人の美点・弱点 黄文雄+呉善花+石平 李白社 フォレスト出版
正月の賀詞交歓会で講師として来てくださる呉善花さんの著作です。
今回は少し紹介します。
黄文雄(こう・ぶんゆう)1938年台湾高雄州岡山郡(現在の高雄県岡山鎮)に生まれる。64年留学のために来日。早稲田大学商学部卒業後、明治大学大学院文学研究科博士前期過程修了。拓殖大学日本文化研究所客員教授。台湾独立建国連盟日本本部委員長。『中国の没落』がベストセラーとなり評論家へ転身。以後、日本を中心に活動し、94年には台湾ペンクラブ賞を受賞する。著者に『2008年の国難』『日中戦争は侵略ではなかった』『世界が仰天する中国人の野蛮』(共著)他多数有り。
呉善花(お・そんふぁ)1956年韓国生まれ。大東文化大学(英語学)卒業後、東京外国語大学他地域研究科修士課程(北米地域研究)終了。拓殖大学国際開発学部教授。韓国時代に4年間の軍隊経験有り。東京外大大学院時代に発表した韓国人ホステスに関する『スカートの風』が大ベストセラーに。他に『攘夷の韓国 開国の日本』(山本七平賞受賞)『「日帝」だけで歴史は語れない』『韓国倫理崩壊1998-2008』等多数有り。
石平(せき・へい)
1962年中国四川省成都生まれ。84年北京大学哲学部卒業。95年神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。北京大学在学中に毛沢東洗脳教育から目覚め、その後中国民主化運動に没頭。89年の天安門事件をきっかけに祖国中国と「精神的に決別」。2002年「在日中国人」として評論活動に入る。著書に『私は「毛主席の小戦士」だった』『中国人だから見える日中の宿命』『中国の崩壊が始まった!』(共著)他多数有り。
2008年12月10日水曜日
親子で楽しむ はじめての論語塾 安岡定子 明治書院☆
2008年12月9日火曜日
新聞記事を並べたブログを再開しております☆
独断と偏見で掲載しており、
その基準に悩み休止しておりましたが、
結論が出ないまま様子見で再開でございます。
http://hamayaboy.blogspot.com/
その基準に悩み休止しておりましたが、
結論が出ないまま様子見で再開でございます。
http://hamayaboy.blogspot.com/
フィッシュストーリー 伊坂幸太郎 新潮社
4つの短編小説集。
「動物園のエンジン」…「誰も信じてくれないんだけど。永沢さんが職員だった時から、動物たちの雰囲気がね、違うんだ。こんなに真っ暗な園内だけど、永沢さんが夜勤でいると明らかに違っていて」
「サクリファイス」…こもり様、生贄を選んで洞窟に閉じ込めると言う風習。
「フィッシュストーリー」…「私は正義の味方になりたかったんですよ」「親からね、そうやって育てられたんですよ」
「ポテチ」…「ただのボールが遠くに飛ぶだけのことですからね」「だって、ただのボールがあんなに遠くに」
さらにフィッシュストーリーより、
『僕の孤独が魚だとしたら、そのあまりの巨大さと獰猛さに、鯨でさえ逃げ出すに違いない』
『僕の勇気が魚だとしたら、そのあまりの巨大さと若さで、陽光の跳ね返った水面をさらに輝かせるだろう』
映画「ファイトクラブ」では、人体の各部位が一人称で語る詩が出ていた。
それと同じような小気味の良い詩が話を盛り上げる。
2008年12月4日木曜日
2008年12月2日火曜日
Q&A 経営分析の実際 川口勉 日経文庫
2008年12月1日月曜日
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 桜庭一樹 富士見書房☆
今回の題材はドメスティック・バイオレンスです。
「なぎさ、なぎさは”ストックホルム症候群”って、聞いたことあるかい?」
「誘拐されたり人質にされた犯罪被害者が陥る心理状態のことなんだ。ストックホルムで実際に起こった事件からその名前がついたんだけどね……」「たとえば誘拐された被害者というものは、自由を奪われて、考えることも取り上げられて、そのまま狭い密室で犯人と何日も過ごすんだ……」「するとね、なぎさ。たとえば宗教団体や自己啓発セミナーや企業の新人研修も同じシステムなのだけれど、奪われた思考のために空っぽになった器に、新しいものがたっぷり隅々まで入ってしまうんだよ。宗教の教義やら新しい自分観やら企業への忠誠心がね……」「誘拐や人質事件の場合は、犯人への同情や忠誠心がそれに当たるんだ。長い間拘束されるほどに、被害者は救出された後までも犯人の味方となり、法廷でも彼らを庇う発言を繰り返す」
少女たちは戦っている。嘘という砂糖菓子の実弾を撃ち、生き残って大人になる為に少女たちは戦っている。
日本のどこにでもある、とても愛おしくなるような田舎の風景の中で。
砂糖菓子でできた弾丸では子供は世界と戦えない。
2008年11月28日金曜日
金融危機の帰趨と今後の展開 武者陵司
1949年生まれ。長野県出身。1973年横浜国立大学卒業後、大和証券に入社。1982年、同証券調査部門独立により大和総研に出向。87年までの間に建設・住宅・窯業・自動車・電機業界を担当。1988年より大和総研アメリカ チーフアナリスト。1993年より大和総研 企業調査第2部長。1997年1月、ドイツ証券に入社。チーフ・ストラテジスト兼株式調査部長。 2005年、ドイツ証券東京支店 副会長兼CIO。
バブル(崩壊)は繁栄の入り口である。
無から有を作る、将来の信用だけで借金をして家を建てる。まさにバブルも資本主義の生み出した発明のひとつであり、信用が無い袖を振らせる。
今、実体経済と市場経済(株・クレジット)は空前の乖離を起こしている。今後どうなるだろう?
①恐慌。市場に吊られて大倒産、大失業へと進む。②資産価格の大反発。実体経済に合わせて市場が回復する。この二通りしか有り得ない。
ちなみに大恐慌の後にはかつてそうであったように、武力行使も含む政治的悲劇が必ず起こる。したがって、何が何でも避けなければならない。
一年前からサブプライムローンの販売価格を見ると完全に債務不履行になっているリスク値(40%~60%)で取引されている。つまり、差し押さえて販売してそれでも残った率程度で。サブプライムローンの延滞率18.68%と抵当差押率(処理進行中)11.82%を合わせても30%程度。
金融機関にはお金が無い。しかし、投資家と企業、中央銀行には現金がある。今後恐慌になるか成長に転ずるかは信用の問題になる。信用が収縮してしまっている状態を信用が拡大していく状態にしなくてはならない。
11月25日のFRBによる合計8000億ドルの新規資金供給は、大きなインパクトをもつ。
とうとう、米国中央銀行が金融機関に対してのみならず、個人や企業に対しても「最後の貸し手」として機能する決意を、明確に示すものであるからである。
米ドルを基軸通貨とした世界を維持するより恐慌を避ける道は無い。
そして、何としても大恐慌を避けねばならない。
今後、東京は技術のハブになり、拡大された資本主義国に中産階級が拡大することで質の高いものにお金をかける時代がくる。拡大した資本主義市場は労働者も増加させた。
グローバル社会は同一のルールで勝負する社会。ひとつの地球として保護主義的政策をとらない前提で国際分業が行われる。しかし、実は、国際分業社会は不公平な社会である。
分業で受け持つ産業のツララの最初の核を持っている地域がその産業を握る。産業は集積するとメリットがある。フォードの故郷、デトロイトの車やスタンフォード大学の近くのシリコンバレーのITなど。農業に特化した地域は現在は不利な状況になっている。
日本は全産業がフルラインナップで持っており、取捨選択できる。付加価値の高い、品質の良い製品を作る技術がある。また、チープレイバーメリットが残っている。日本は安い労働者を使っていかに稼ぐかの知恵をだし、富を増やす時代が来る。
恐慌を避けてしまえば…日本は有利な条件がそろっている。
おすすめの本 「資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす」 竹森俊平 日本経済新聞出版社
2008年11月27日木曜日
モダンタイムス 伊坂幸太郎 講談社
漫画雑誌『モーニング』に連載されていたそうです。
「播磨崎中学校」「安藤商会」「個別カウンセリング」「加賀絵里」「小林有里子」「間壁俊一郎」
”人は知らないものにぶつかった時、まず何をするか?"
「検索するんだよ」
「ルールには二種類あるの」「大事なルールとそうじゃないルール」「大事なルールほど、法律では決まってないのよ。困った人に手を貸しなさい、とかね、そういうのは法律になってない。で、無条件に、糞赤信号に従うってのは、どういうことかって言うと」「誰かの決めたルールを無条件に受け入れるだけ、ってことよ」
これは近未来社会派SFサスペンスと言えばいいのでしょうか?各時代試行錯誤しながら生き抜き、振り返ると良い時代だったと思うのです。多少の懐かしさを込めて。
2008年11月21日金曜日
日本神話の神々 井上宏生 祥伝社新書
2008年11月13日木曜日
やっかいな隣人 韓国の正体 井沢元彦 呉善花 祥伝社
儒教の国は礼を重んじる。年長者を敬う。だから儒教が徹底している韓国はさぞやいい国だろうと思ってします。でも儒教、特に朱子学が徹底しているからこそ歴史を客観的に見たり近代化したり出来ない現在の韓国の問題を解決できないでいる。
韓国社会で守るべき礼は、長幼の序、男女の序、生業の序、家の出身の序、出身校の序などありとあらゆる序列をつける。上下関係をつけなくては落ち着かない。
現実よりもイデオロギーが大切。儒教的思想が日本の左翼とよく似ている。「こうあらねばならない」と考える物事を疑えない。疑うことを全くしない。
韓国は一神教的素地があったり、罪を犯した人は死んでも許されなかったり、祖先の罪は子孫の罪だったりと日本とは根本的に異なる部分も少なくない。
韓国のために読んであげて欲しい。(お互いの為と言われるより韓国人はこう言われる方がうれしいらしい)
2008年11月12日水曜日
中国ビジネス とんでも事件簿 範雲涛 PHP新書
2008年11月8日土曜日
山月記 中島敦 新潮社 青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)
隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自(みずか)ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔(いさぎよ)しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山(こざん)、略(かくりゃく)に帰臥(きが)し、人と交(まじわり)を絶って、ひたすら詩作に耽(ふけ)った。下吏となって長く膝(ひざ)を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺(のこ)そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐(お)うて苦しくなる。李徴は漸(ようや)く焦躁(しょうそう)に駆られて来た。この頃(ころ)からその容貌(ようぼう)も峭刻(しょうこく)となり、肉落ち骨秀(ひい)で、眼光のみ徒(いたず)らに炯々(けいけい)として、曾(かつ)て進士に登第(とうだい)した頃の豊頬(ほうきょう)の美少年の俤(おもかげ)は、何処(どこ)に求めようもない。数年の後、貧窮に堪(た)えず、妻子の衣食のために遂(つい)に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己(おのれ)の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥(はる)か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙(しが)にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才(しゅんさい)李徴の自尊心を如何(いか)に傷(きずつ)けたかは、想像に難(かた)くない。彼は怏々(おうおう)として楽しまず、狂悖(きょうはい)の性は愈々(いよいよ)抑え難(がた)くなった。一年の後、公用で旅に出、汝水(じょすい)のほとりに宿った時、遂に発狂した。或(ある)夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇(やみ)の中へ駈出(かけだ)した。彼は二度と戻(もど)って来なかった。附近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなったかを知る者は、誰(だれ)もなかった。
翌年、監察御史(かんさつぎょし)、陳郡(ちんぐん)の袁(えんさん)という者、勅命を奉じて嶺南(れいなん)に使(つかい)し、途(みち)に商於(しょうお)の地に宿った。次の朝未(ま)だ暗い中(うち)に出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎(ひとくいどら)が出る故(ゆえ)、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜(よろ)しいでしょうと。袁は、しかし、供廻(ともまわ)りの多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥(しりぞ)けて、出発した。残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎(もうこ)が叢(くさむら)の中から躍り出た。虎は、あわや袁に躍りかかるかと見えたが、忽(たちま)ち身を飜(ひるがえ)して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟(つぶや)くのが聞えた。その声に袁は聞き憶(おぼ)えがあった。驚懼(きょうく)の中にも、彼は咄嗟(とっさ)に思いあたって、叫んだ。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」袁は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少かった李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な袁の性格が、峻峭(しゅんしょう)な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。
叢の中からは、暫(しばら)く返辞が無かった。しのび泣きかと思われる微(かす)かな声が時々洩(も)れるばかりである。ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は隴西の李徴である」と。
袁は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懐(なつ)かしげに久闊(きゅうかつ)を叙した。そして、何故(なぜ)叢から出て来ないのかと問うた。李徴の声が答えて言う。自分は今や異類の身となっている。どうして、おめおめと故人(とも)の前にあさましい姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を現せば、必ず君に畏怖嫌厭(いふけんえん)の情を起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも故人に遇(あ)うことを得て、愧赧(きたん)の念をも忘れる程に懐かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜悪な今の外形を厭(いと)わず、曾て君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろうか。
後で考えれば不思議だったが、その時、袁は、この超自然の怪異を、実に素直に受容(うけい)れて、少しも怪もうとしなかった。彼は部下に命じて行列の進行を停(と)め、自分は叢の傍(かたわら)に立って、見えざる声と対談した。都の噂(うわさ)、旧友の消息、袁が現在の地位、それに対する李徴の祝辞。青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で、それ等(ら)が語られた後、袁は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊(たず)ねた。草中の声は次のように語った。
今から一年程前、自分が旅に出て汝水のほとりに泊った夜のこと、一睡してから、ふと眼(め)を覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中から頻(しき)りに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。無我夢中で駈けて行く中に、何時(いつ)しか途は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地を攫(つか)んで走っていた。何か身体(からだ)中に力が充(み)ち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えて行った。気が付くと、手先や肱(ひじ)のあたりに毛を生じているらしい。少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見ると、既に虎となっていた。自分は初め眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然(ぼうぜん)とした。そうして懼(おそ)れた。全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判(わか)らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。自分は直(す)ぐに死を想(おも)うた。しかし、その時、眼の前を一匹の兎(うさぎ)が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗(まみ)れ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還(かえ)って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、人語も操(あやつ)れれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書(けいしょ)の章句を誦(そら)んずることも出来る。その人間の心で、虎としての己(おのれ)の残虐(ざんぎゃく)な行(おこない)のあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しく、憤(いきどお)ろしい。しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、己(おれ)はどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐しいことだ。今少し経(た)てば、己(おれ)の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋(うも)れて消えて了(しま)うだろう。ちょうど、古い宮殿の礎(いしずえ)が次第に土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても故人(とも)と認めることなく、君を裂き喰(くろ)うて何の悔も感じないだろう。一体、獣でも人間でも、もとは何か他(ほか)のものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか? いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀(かな)しく、切なく思っているだろう! 己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなって了う前に、一つ頼んで置きたいことがある。
袁はじめ一行は、息をのんで、叢中(そうちゅう)の声の語る不思議に聞入っていた。声は続けて言う。
他でもない。自分は元来詩人として名を成す積りでいた。しかも、業未(いま)だ成らざるに、この運命に立至った。曾て作るところの詩数百篇(ぺん)、固(もと)より、まだ世に行われておらぬ。遺稿の所在も最早(もはや)判らなくなっていよう。ところで、その中、今も尚(なお)記誦(きしょう)せるものが数十ある。これを我が為(ため)に伝録して戴(いただ)きたいのだ。何も、これに仍(よ)って一人前の詩人面(づら)をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯(しょうがい)それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。
袁は部下に命じ、筆を執って叢中の声に随(したが)って書きとらせた。李徴の声は叢の中から朗々と響いた。長短凡(およ)そ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁は感嘆しながらも漠然(ばくぜん)と次のように感じていた。成程(なるほど)、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処(どこ)か(非常に微妙な点に於(おい)て)欠けるところがあるのではないか、と。
旧詩を吐き終った李徴の声は、突然調子を変え、自らを嘲(あざけ)るか如(ごと)くに言った。
羞(はずか)しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己(おれ)は、己の詩集が長安(ちょうあん)風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟(がんくつ)の中に横たわって見る夢にだよ。嗤(わら)ってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。(袁は昔の青年李徴の自嘲癖(じちょうへき)を思出しながら、哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐(おもい)を即席の詩に述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きているしるしに。
袁は又下吏に命じてこれを書きとらせた。その詩に言う。
偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高
我為異物蓬茅下 君巳乗気勢豪
此夕渓山対明月 不成長嘯但成
時に、残月、光冷(ひや)やかに、白露は地に滋(しげ)く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖(はっこう)を嘆じた。李徴の声は再び続ける。
何故(なぜ)こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依(よ)れば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、己(おれ)は努めて人との交(まじわり)を避けた。人々は己を倨傲(きょごう)だ、尊大だといった。実は、それが殆(ほとん)ど羞恥心(しゅうちしん)に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論(もちろん)、曾ての郷党(きょうとう)の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云(い)わない。しかし、それは臆病(おくびょう)な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨(せっさたくま)に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍(ご)することも潔(いさぎよ)しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為(せい)である。己(おのれ)の珠(たま)に非(あら)ざることを惧(おそ)れるが故(ゆえ)に、敢(あえ)て刻苦して磨(みが)こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々(ろくろく)として瓦(かわら)に伍することも出来なかった。己(おれ)は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶(ふんもん)と慙恚(ざんい)とによって益々(ますます)己(おのれ)の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己(おれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。今思えば、全く、己は、己の有(も)っていた僅(わず)かばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をも為(な)さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄(ろう)しながら、事実は、才能の不足を暴露(ばくろ)するかも知れないとの卑怯(ひきょう)な危惧(きぐ)と、刻苦を厭(いと)う怠惰とが己の凡(すべ)てだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己は漸(ようや)くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼(や)かれるような悔を感じる。己には最早人間としての生活は出来ない。たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。まして、己の頭は日毎(ひごと)に虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪(たま)らなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の巖(いわ)に上り、空谷(くうこく)に向って吼(ほ)える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処(あそこ)で月に向って咆(ほ)えた。誰かにこの苦しみが分って貰(もら)えないかと。しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯(ただ)、懼(おそ)れ、ひれ伏すばかり。山も樹(き)も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮(たけ)っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易(やす)い内心を誰も理解してくれなかったように。己の毛皮の濡(ぬ)れたのは、夜露のためばかりではない。
漸く四辺(あたり)の暗さが薄らいで来た。木の間を伝って、何処(どこ)からか、暁角(ぎょうかく)が哀しげに響き始めた。
最早、別れを告げねばならぬ。酔わねばならぬ時が、(虎に還らねばならぬ時が)近づいたから、と、李徴の声が言った。だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。彼等(かれら)は未(ま)だ略(かくりゃく)にいる。固より、己の運命に就いては知る筈(はず)がない。君が南から帰ったら、己は既に死んだと彼等に告げて貰えないだろうか。決して今日のことだけは明かさないで欲しい。厚かましいお願だが、彼等の孤弱を憐(あわ)れんで、今後とも道塗(どうと)に飢凍(きとう)することのないように計らって戴けるならば、自分にとって、恩倖(おんこう)、これに過ぎたるは莫(な)い。
言終って、叢中から慟哭(どうこく)の声が聞えた。袁もまた涙を泛(うか)べ、欣(よろこ)んで李徴の意に副(そ)いたい旨(むね)を答えた。李徴の声はしかし忽(たちま)ち又先刻の自嘲的な調子に戻(もど)って、言った。
本当は、先(ま)ず、この事の方を先にお願いすべきだったのだ、己が人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己(おのれ)の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕(おと)すのだ。
そうして、附加(つけくわ)えて言うことに、袁が嶺南からの帰途には決してこの途(みち)を通らないで欲しい、その時には自分が酔っていて故人(とも)を認めずに襲いかかるかも知れないから。又、今別れてから、前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、此方(こちら)を振りかえって見て貰いたい。自分は今の姿をもう一度お目に掛けよう。勇に誇ろうとしてではない。我が醜悪な姿を示して、以(もっ)て、再び此処(ここ)を過ぎて自分に会おうとの気持を君に起させない為であると。
袁は叢に向って、懇(ねんご)ろに別れの言葉を述べ、馬に上った。叢の中からは、又、堪(た)え得ざるが如き悲泣(ひきゅう)の声が洩(も)れた。袁も幾度か叢を振返りながら、涙の中に出発した。
一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地を眺(なが)めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮(ほうこう)したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。
翌年、監察御史(かんさつぎょし)、陳郡(ちんぐん)の袁(えんさん)という者、勅命を奉じて嶺南(れいなん)に使(つかい)し、途(みち)に商於(しょうお)の地に宿った。次の朝未(ま)だ暗い中(うち)に出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎(ひとくいどら)が出る故(ゆえ)、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜(よろ)しいでしょうと。袁は、しかし、供廻(ともまわ)りの多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥(しりぞ)けて、出発した。残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎(もうこ)が叢(くさむら)の中から躍り出た。虎は、あわや袁に躍りかかるかと見えたが、忽(たちま)ち身を飜(ひるがえ)して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟(つぶや)くのが聞えた。その声に袁は聞き憶(おぼ)えがあった。驚懼(きょうく)の中にも、彼は咄嗟(とっさ)に思いあたって、叫んだ。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」袁は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少かった李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な袁の性格が、峻峭(しゅんしょう)な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。
叢の中からは、暫(しばら)く返辞が無かった。しのび泣きかと思われる微(かす)かな声が時々洩(も)れるばかりである。ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は隴西の李徴である」と。
袁は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懐(なつ)かしげに久闊(きゅうかつ)を叙した。そして、何故(なぜ)叢から出て来ないのかと問うた。李徴の声が答えて言う。自分は今や異類の身となっている。どうして、おめおめと故人(とも)の前にあさましい姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を現せば、必ず君に畏怖嫌厭(いふけんえん)の情を起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも故人に遇(あ)うことを得て、愧赧(きたん)の念をも忘れる程に懐かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜悪な今の外形を厭(いと)わず、曾て君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろうか。
後で考えれば不思議だったが、その時、袁は、この超自然の怪異を、実に素直に受容(うけい)れて、少しも怪もうとしなかった。彼は部下に命じて行列の進行を停(と)め、自分は叢の傍(かたわら)に立って、見えざる声と対談した。都の噂(うわさ)、旧友の消息、袁が現在の地位、それに対する李徴の祝辞。青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で、それ等(ら)が語られた後、袁は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊(たず)ねた。草中の声は次のように語った。
今から一年程前、自分が旅に出て汝水のほとりに泊った夜のこと、一睡してから、ふと眼(め)を覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中から頻(しき)りに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。無我夢中で駈けて行く中に、何時(いつ)しか途は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地を攫(つか)んで走っていた。何か身体(からだ)中に力が充(み)ち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えて行った。気が付くと、手先や肱(ひじ)のあたりに毛を生じているらしい。少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見ると、既に虎となっていた。自分は初め眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然(ぼうぜん)とした。そうして懼(おそ)れた。全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判(わか)らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。自分は直(す)ぐに死を想(おも)うた。しかし、その時、眼の前を一匹の兎(うさぎ)が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗(まみ)れ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還(かえ)って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、人語も操(あやつ)れれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書(けいしょ)の章句を誦(そら)んずることも出来る。その人間の心で、虎としての己(おのれ)の残虐(ざんぎゃく)な行(おこない)のあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しく、憤(いきどお)ろしい。しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、己(おれ)はどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐しいことだ。今少し経(た)てば、己(おれ)の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋(うも)れて消えて了(しま)うだろう。ちょうど、古い宮殿の礎(いしずえ)が次第に土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても故人(とも)と認めることなく、君を裂き喰(くろ)うて何の悔も感じないだろう。一体、獣でも人間でも、もとは何か他(ほか)のものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか? いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀(かな)しく、切なく思っているだろう! 己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなって了う前に、一つ頼んで置きたいことがある。
袁はじめ一行は、息をのんで、叢中(そうちゅう)の声の語る不思議に聞入っていた。声は続けて言う。
他でもない。自分は元来詩人として名を成す積りでいた。しかも、業未(いま)だ成らざるに、この運命に立至った。曾て作るところの詩数百篇(ぺん)、固(もと)より、まだ世に行われておらぬ。遺稿の所在も最早(もはや)判らなくなっていよう。ところで、その中、今も尚(なお)記誦(きしょう)せるものが数十ある。これを我が為(ため)に伝録して戴(いただ)きたいのだ。何も、これに仍(よ)って一人前の詩人面(づら)をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯(しょうがい)それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。
袁は部下に命じ、筆を執って叢中の声に随(したが)って書きとらせた。李徴の声は叢の中から朗々と響いた。長短凡(およ)そ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁は感嘆しながらも漠然(ばくぜん)と次のように感じていた。成程(なるほど)、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処(どこ)か(非常に微妙な点に於(おい)て)欠けるところがあるのではないか、と。
旧詩を吐き終った李徴の声は、突然調子を変え、自らを嘲(あざけ)るか如(ごと)くに言った。
羞(はずか)しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己(おれ)は、己の詩集が長安(ちょうあん)風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟(がんくつ)の中に横たわって見る夢にだよ。嗤(わら)ってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。(袁は昔の青年李徴の自嘲癖(じちょうへき)を思出しながら、哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐(おもい)を即席の詩に述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きているしるしに。
袁は又下吏に命じてこれを書きとらせた。その詩に言う。
偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高
我為異物蓬茅下 君巳乗気勢豪
此夕渓山対明月 不成長嘯但成
時に、残月、光冷(ひや)やかに、白露は地に滋(しげ)く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖(はっこう)を嘆じた。李徴の声は再び続ける。
何故(なぜ)こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依(よ)れば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、己(おれ)は努めて人との交(まじわり)を避けた。人々は己を倨傲(きょごう)だ、尊大だといった。実は、それが殆(ほとん)ど羞恥心(しゅうちしん)に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論(もちろん)、曾ての郷党(きょうとう)の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云(い)わない。しかし、それは臆病(おくびょう)な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨(せっさたくま)に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍(ご)することも潔(いさぎよ)しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為(せい)である。己(おのれ)の珠(たま)に非(あら)ざることを惧(おそ)れるが故(ゆえ)に、敢(あえ)て刻苦して磨(みが)こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々(ろくろく)として瓦(かわら)に伍することも出来なかった。己(おれ)は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶(ふんもん)と慙恚(ざんい)とによって益々(ますます)己(おのれ)の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己(おれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。今思えば、全く、己は、己の有(も)っていた僅(わず)かばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をも為(な)さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄(ろう)しながら、事実は、才能の不足を暴露(ばくろ)するかも知れないとの卑怯(ひきょう)な危惧(きぐ)と、刻苦を厭(いと)う怠惰とが己の凡(すべ)てだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己は漸(ようや)くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼(や)かれるような悔を感じる。己には最早人間としての生活は出来ない。たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。まして、己の頭は日毎(ひごと)に虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪(たま)らなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の巖(いわ)に上り、空谷(くうこく)に向って吼(ほ)える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処(あそこ)で月に向って咆(ほ)えた。誰かにこの苦しみが分って貰(もら)えないかと。しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯(ただ)、懼(おそ)れ、ひれ伏すばかり。山も樹(き)も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮(たけ)っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易(やす)い内心を誰も理解してくれなかったように。己の毛皮の濡(ぬ)れたのは、夜露のためばかりではない。
漸く四辺(あたり)の暗さが薄らいで来た。木の間を伝って、何処(どこ)からか、暁角(ぎょうかく)が哀しげに響き始めた。
最早、別れを告げねばならぬ。酔わねばならぬ時が、(虎に還らねばならぬ時が)近づいたから、と、李徴の声が言った。だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。彼等(かれら)は未(ま)だ略(かくりゃく)にいる。固より、己の運命に就いては知る筈(はず)がない。君が南から帰ったら、己は既に死んだと彼等に告げて貰えないだろうか。決して今日のことだけは明かさないで欲しい。厚かましいお願だが、彼等の孤弱を憐(あわ)れんで、今後とも道塗(どうと)に飢凍(きとう)することのないように計らって戴けるならば、自分にとって、恩倖(おんこう)、これに過ぎたるは莫(な)い。
言終って、叢中から慟哭(どうこく)の声が聞えた。袁もまた涙を泛(うか)べ、欣(よろこ)んで李徴の意に副(そ)いたい旨(むね)を答えた。李徴の声はしかし忽(たちま)ち又先刻の自嘲的な調子に戻(もど)って、言った。
本当は、先(ま)ず、この事の方を先にお願いすべきだったのだ、己が人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己(おのれ)の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕(おと)すのだ。
そうして、附加(つけくわ)えて言うことに、袁が嶺南からの帰途には決してこの途(みち)を通らないで欲しい、その時には自分が酔っていて故人(とも)を認めずに襲いかかるかも知れないから。又、今別れてから、前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、此方(こちら)を振りかえって見て貰いたい。自分は今の姿をもう一度お目に掛けよう。勇に誇ろうとしてではない。我が醜悪な姿を示して、以(もっ)て、再び此処(ここ)を過ぎて自分に会おうとの気持を君に起させない為であると。
袁は叢に向って、懇(ねんご)ろに別れの言葉を述べ、馬に上った。叢の中からは、又、堪(た)え得ざるが如き悲泣(ひきゅう)の声が洩(も)れた。袁も幾度か叢を振返りながら、涙の中に出発した。
一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地を眺(なが)めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮(ほうこう)したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。
2008年11月7日金曜日
ぼんくら(上)(下) 宮部みゆき 講談社文庫
宮部さんの時代物にはまりきってますね。
ミステリーというジャンルか時代物というジャンルかどちらが好みの方も楽しめると思います。
読んでいて描写とはまったく合わないけれども何となくこの人を思い浮かべてしまうというキャストが
あります。つまり創造力と読解力の欠如の産物なんですが、今回は私の頭ではこんなキャストでしたを
紹介します。
井筒平四郎
「頬がこけて目が細く」なんて書いてあって全然そんな風ではないのですが…。
弓之助
「人形のような顔」と言われると神木龍之介さんを思い出します。
でもなぜだか読んでいると(はんにゃ)のボケのほうがちらつきました。
おでこ
おでこは記憶力の良い男の子なんですが、私の中では女の子に変換されてしまいました。
2008年11月6日木曜日
朝のリレー 谷川俊太郎☆
朝のリレー
カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
微笑みながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭(ちゅうとう)を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
中学校のとき国語の先生が訛っていた。
私は東京生まれ東京育ち。その東京の公立中学校の国語教師が高知出身。
別に普通のことなのにとても不思議だった。
だから僕はこの詩を訛って覚えている。
訛っていなかったら覚えていなかったかもなんて思うと
結構感謝である。
カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
微笑みながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭(ちゅうとう)を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
中学校のとき国語の先生が訛っていた。
私は東京生まれ東京育ち。その東京の公立中学校の国語教師が高知出身。
別に普通のことなのにとても不思議だった。
だから僕はこの詩を訛って覚えている。
訛っていなかったら覚えていなかったかもなんて思うと
結構感謝である。
2008年11月4日火曜日
glasstec08☆
2年に1度のガラスの展示会を中心に視察に行ってきました。
ドイツはデュッセルドルフで開かれる展示会です。
ガラス関連ならば、置物から、ビンを洗う機械や建築用板ガラスにいたるまで
まぁ~これでもかという展示です。
詳しくは一緒に行った仲間のブログで紹介していますのでどうぞ。
ちなみにタイトル☆クリックで下記ブログに飛びます。
オバチョー日記http://obacho2007.blog105.fc2.com/
ドイツはデュッセルドルフで開かれる展示会です。
ガラス関連ならば、置物から、ビンを洗う機械や建築用板ガラスにいたるまで
まぁ~これでもかという展示です。
詳しくは一緒に行った仲間のブログで紹介していますのでどうぞ。
ちなみにタイトル☆クリックで下記ブログに飛びます。
オバチョー日記http://obacho2007.blog105.fc2.com/
2008年10月31日金曜日
ぼくは猟師になった 千松信也 リトルモア
2008年10月10日金曜日
おそろし三島屋変調百物語事始 宮部みゆき 角川書店
2008年10月8日水曜日
10月1日 最近の市況(聞いた話)☆
最近まで好景気と呼ばれていたのは、外需、超低金利、千代田区・港区・中央区だけの局所的不動産バブルのおかげでかろうじてお金が回っていたという状況だった。
公共事業は4割減った。でも業者は1割しか減っていない。未だ供給過剰が続いている。さらに、改正建築基準法によって着工の遅れの影響も残っている。
1996年からの多くのゼネコンの統廃合は実は銀行金融問題だった。過剰債務を解消するために選別を行った結果だ。そして今や過剰債務のゼネコンはもうない。だから銀行主導の再編もない。これをゼネコン側から見ると貸借対照表上の問題(過剰債務)はない。今の問題は損益計算書上の問題(利益を出せるかどうか)だけだ。となる。ただし、地方ゼネコンと地銀の関係は残っているし、県に1つのゼネコンも供給過剰となるかもしれない。銀行も隣県と合併すれば吸収された地銀側のゼネコンは立場が弱くなることは創造に難くない。
チェックポイント:経常収支・棚卸資産回転期間・有利子負債月商倍率・借入金平均金利・手元流動性比率・売上債権回転期間・安値受注・支払い条件の変更・メインバンク、大株主の動向・株価・長期指名停止処分・デベロッパーへの焦げ付き「有価証券報告書」
ファンドを客とする証券化ビジネスのビジネスモデルが米国金融危機により回らなくなった。ファンドが金を引き上げるのは、金そのものが回らないのもある。さらに、マンションを1棟買いしたファンドが収益を出すのは高く借りてくれる店子がいてこそだった。それが、日本で働く金融関係者だった。しかし、彼らは金融危機で解雇されたり、自国に戻ったりしている。
海外の金融市場の動向が国内の不動産・建築市場に与える影響は少なくない。
公共事業は4割減った。でも業者は1割しか減っていない。未だ供給過剰が続いている。さらに、改正建築基準法によって着工の遅れの影響も残っている。
1996年からの多くのゼネコンの統廃合は実は銀行金融問題だった。過剰債務を解消するために選別を行った結果だ。そして今や過剰債務のゼネコンはもうない。だから銀行主導の再編もない。これをゼネコン側から見ると貸借対照表上の問題(過剰債務)はない。今の問題は損益計算書上の問題(利益を出せるかどうか)だけだ。となる。ただし、地方ゼネコンと地銀の関係は残っているし、県に1つのゼネコンも供給過剰となるかもしれない。銀行も隣県と合併すれば吸収された地銀側のゼネコンは立場が弱くなることは創造に難くない。
チェックポイント:経常収支・棚卸資産回転期間・有利子負債月商倍率・借入金平均金利・手元流動性比率・売上債権回転期間・安値受注・支払い条件の変更・メインバンク、大株主の動向・株価・長期指名停止処分・デベロッパーへの焦げ付き「有価証券報告書」
ファンドを客とする証券化ビジネスのビジネスモデルが米国金融危機により回らなくなった。ファンドが金を引き上げるのは、金そのものが回らないのもある。さらに、マンションを1棟買いしたファンドが収益を出すのは高く借りてくれる店子がいてこそだった。それが、日本で働く金融関係者だった。しかし、彼らは金融危機で解雇されたり、自国に戻ったりしている。
海外の金融市場の動向が国内の不動産・建築市場に与える影響は少なくない。
岸井成格
グローバリゼーション(グローバル化)という言葉を聞いてずいぶん経つ。東西冷戦が終わり、バブルが崩壊し、55年体制も崩れた。
グローバル化には光の部分と影の部分がある。そして、ここに来て影の部分がとても目立つようになってきた。1、格差 2、ナショナリズムである。
ITとFTの革命があり社会が大きく変わった。政治が経済の技術革新について来られなかった。
アメリカの下院が金融安定化法案を否決した。米下院というのは地元のことしか考えていないものです。上院が外交や予算など大きなことを決める。
フランスサルコジ大統領は経済的に大転換を感じる今このときに、アメリカも日本も選挙のことばかりで「G8を開きたいのに議長国の日本はなにをやっているんだ」と言っている。
日本の選挙は直前の雰囲気だけで決まってしまう。前回の安倍政権がつぶれた選挙では、松岡大臣の自殺、赤城大臣の絆創膏、九間大臣の失言、
さらに社保庁からの消えた5千万件のリークによるクーデター。余談だが年金を社会保険と言う言い方は国民にわざと誤解をさせる方法である。年金という制度は、「お金を支払った人だけがある一定の年齢になったときにお金を受け取れます。」自分が積み立てたお金としてではなく「25年間制度のためにお金を払った人は善良な市民として年金を受け取る権利を得ます」「自分が自分にかける保険ではなく、働いている人が高齢者を支える共済的な制度である」年金だけでは生活できないという人がいるけれども、年金というのは老後の蓄えの足し前でしかないはずです。もともとそういう目的で作られていました。
その政権の海外への姿勢がどうだとか、どんな法律を通したとかはまったく関係ない。勢いだけ。
小選挙区制は結果としては2大政党制に収束されるということは間違いない。
小選挙区制と言っても国民性と運用で大きく異なる。
米国は地域のことだけを考える代表を選ぶ。
英国は地元とはまったく関係ない。政党を選ぶ。もっと言うと首相にふさわしい党首を選ぶ。だから刺客も送る。将来有望な相手政党の党首になりそうな候補者の選挙区には選挙に強い人を送り込んだりもする。
ちなみにカナダは小選挙区の特徴を特に示しており、大勝、大負けを激しく表す。国民も選挙結果が大きく反映されることを知っていて、わざと大敗させたりする。
さて、いつ解散するかだが、本音ではわからない。麻生という人はマスコミが書きたてるとへそを曲げる。その日にはしたくないと思う人。総理大臣の専権事項である閣僚任命権と解散権を端でごちゃごちゃ言われたくない。今月中ということもあり得る。
今回の選挙も勢いだけになると思われている。自民党は党首同士の一騎打ちの形に持って行きたがっている。麻生と小沢なら麻生のほうが人気があるだろうと。小沢は知っているので風邪をひいて党首討論を避けてる。
今回の衆議院選の結果次第で起こりうる事態は。
1、自民党、公明党で過半数を取るが3分の2は取れない。
2、民主党単独で過半数を取る。
3、自民党+公明党、民主党両方とも過半数を取れない。
1、ならば、政権運営はさらに厳しく、ねじれが続く。2、ならば民主党が政権をとりねじれは解消する。しかし、民主党の今言っていることは結果うそをつくことになるので、下野した自民党の攻撃で国会は混乱を続ける。戦後初の政権交代3、どこも過半数を取れないとすると、A,政界再編B,大連立が予想される。
価値の大転回期は欧米では大連立が起こることが多い。一つになり議論を尽くすことで対決軸が作られるからである。そして、再編が起こるわけである。
経済倫理=あなたは、なに主義? 橋本努 講談社選書メチエ
日本経済新聞に紹介されていた本です。
A.企業は、短期的には損失を被るとしても、あるいは社員に不利益を強いるとしても、長期的な視野に立って道徳的に行動すべきである。
B.経済政策や制度の理念として、「公正」と「秩序の安定・成長(全体の利益)」のいずれを優先する社会が望ましいだろうか。
C.企業が連帯的ないし家父長制的な組織を保持したい場合には、それを自由に認めるべきであろうか。それとも、どの企業であれ、組織内部において開かれた人間関係を構築すべきであろうか。
D.企業は、基本的には金儲け第一主義で行動してよいだろうか。それとも、社会全体の中に、倫理の一翼を担う存在として包摂されるべきであろうか。
この4点の質問にyes noで答えると自分が世間で言われるなに主義なのかがわかる。そして、この価値観をもとに現在起こっている事件や経済政策の賛否などを考えると一致したりしなかったりする。そこに自分の一貫性が図れる。すばらしい本と出会いました。お勧めの一冊です。
2008年10月7日火曜日
中国大乱を乗り切る日本の進路 長谷川慶太郎 KKベストセラーズ☆
2008年10月6日月曜日
山形ライフvol.2☆
私の学生時代の恩師が運営しているブログです。
社会学という学問に出会い、この先生に出会ってとても良い学生時代でした。
学者先生ですから社会批判的なものの見方をしますが、大筋では勉強になります。
実はものすごい美人で、それも研究の邪魔だったりするそうです。
http://blog.goo.ne.jp/gkyu
社会学という学問に出会い、この先生に出会ってとても良い学生時代でした。
学者先生ですから社会批判的なものの見方をしますが、大筋では勉強になります。
実はものすごい美人で、それも研究の邪魔だったりするそうです。
http://blog.goo.ne.jp/gkyu
2008年10月3日金曜日
2008年10月1日水曜日
「手紙 ~十五の君へ~」 作詞・作曲・編曲 アンジェラ・アキ
歌を聴いて久しぶりに感動しました。
「手紙 ~十五の君へ~」 作詞・作曲・編曲 アンジェラ・アキ
拝啓 この手紙読んでいるあなたは どこで何をしているのだろう
十五の僕には誰にも話せない 悩みの種があるのです
未来の自分に宛てて書く手紙なら
きっと素直に打ち明けられるだろう
今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じ歩けばいいの?
ひとつしかないこの胸がなんどもばらばらに割れて
苦しい中で今を生きている
今を生きている
拝啓 ありがとう 十五のあなたに伝えたいことがあるのです
自分とは何でどこへ向かうべきか 問い続ければ見えてくる
荒れた青春の海は厳しいけれど
明日の岸辺へと 夢の船よ進め
今 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの
大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど
苦くて甘い今を生きている
人生の全てに意味があるから 恐れずにあなたの夢を育てて
keep on believing
負けそうで泣きそうで消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じ歩けばいいの?
ああ 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの
いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど
笑顔を見せて 今を生きていこう
今を生きていこう
拝啓 この手紙読んでいるあなたが
幸せな事を願います
「手紙 ~十五の君へ~」 作詞・作曲・編曲 アンジェラ・アキ
拝啓 この手紙読んでいるあなたは どこで何をしているのだろう
十五の僕には誰にも話せない 悩みの種があるのです
未来の自分に宛てて書く手紙なら
きっと素直に打ち明けられるだろう
今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じ歩けばいいの?
ひとつしかないこの胸がなんどもばらばらに割れて
苦しい中で今を生きている
今を生きている
拝啓 ありがとう 十五のあなたに伝えたいことがあるのです
自分とは何でどこへ向かうべきか 問い続ければ見えてくる
荒れた青春の海は厳しいけれど
明日の岸辺へと 夢の船よ進め
今 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの
大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど
苦くて甘い今を生きている
人生の全てに意味があるから 恐れずにあなたの夢を育てて
keep on believing
負けそうで泣きそうで消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じ歩けばいいの?
ああ 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの
いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど
笑顔を見せて 今を生きていこう
今を生きていこう
拝啓 この手紙読んでいるあなたが
幸せな事を願います
ハリーポッターと死の秘宝 J.K.ローリング 静山社
2008年9月30日火曜日
ベルギーと言えばチョコレート☆
2008年9月28日日曜日
フランク・オーウェン・ゲーリー(Frank Owen Gehry)☆
2008年9月27日土曜日
デュッセルドルフのみどころ☆
ケーニヒス・アレー Koenigsallee
緑の美しい並木道でショッピングを楽しむ
ケーニヒスアレーは、市民から「ケー」の愛称で親しまれるデュッセルッドルフのメインストリート。中央にお堀のある広い通りで、約800mにわたって並木道が続く。新緑の頃の美しさは格別だ。
通りの東側には国内外の一流ブランド店、ショッピングアーケード、ギャラリーが競うように軒を連ねる。夏季にはカフェやレストランが店先にテーブル席を出し、通りはいっそう華やぎを見せる。
店先のウィンドーを飾るファッションやアクセサリーのセンスの良さもドイツの街のなかでは格段だが、道行く女性たちもスタイリッシュでおしゃれ。“小パリ”と称されるのもうなずけるファッションセンスが光っている。
旧市街周辺 Altstadt
第二次世界大戦後に再興された18世紀以来の市街
ケーニヒスアレーの東側に並行するハイリッヒ・ハイネ・アレーとライン川に挟まれた約400m四方の区域が旧市街、アルトシュタット。北はブルク広場に通じるミューレン通りから南はカール広場までの一画だ。
ライン川河畔のブルク広場には、かつての城門の塔だった白い塔が立つ。現在は船の博物館になっている。河岸通りを渡った先は、ケルンとデュッセルドルフを結ぶ定期船の船着場だ。
ブルク広場の南側の一画は市庁舎。建物の前にあるマルクト広場の中央にはデュッセルドルフに繁栄をもたらしたプファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘレムの騎馬像が立つ。
マルクト広場から東へ真っすぐ延びるのが旧市街のメインストリートのボルカー通り。両側には居酒屋やバーが軒を連ね、その数は200軒以上。あまりの多さに世界一長いカウンターのある通りと例えられるほど。ボルガー通りの中ほどの53番地には、ハインリッヒ・ハイネの生家跡があり、現在ではビア・レストランになっている。
マルクト広場から南へ通じるベルガー通りには自家醸造のアルトビアが飲める数少ないビア・レストラン、ツム・ユーリゲがある。
緑の美しい並木道でショッピングを楽しむ
ケーニヒスアレーは、市民から「ケー」の愛称で親しまれるデュッセルッドルフのメインストリート。中央にお堀のある広い通りで、約800mにわたって並木道が続く。新緑の頃の美しさは格別だ。
通りの東側には国内外の一流ブランド店、ショッピングアーケード、ギャラリーが競うように軒を連ねる。夏季にはカフェやレストランが店先にテーブル席を出し、通りはいっそう華やぎを見せる。
店先のウィンドーを飾るファッションやアクセサリーのセンスの良さもドイツの街のなかでは格段だが、道行く女性たちもスタイリッシュでおしゃれ。“小パリ”と称されるのもうなずけるファッションセンスが光っている。
旧市街周辺 Altstadt
第二次世界大戦後に再興された18世紀以来の市街
ケーニヒスアレーの東側に並行するハイリッヒ・ハイネ・アレーとライン川に挟まれた約400m四方の区域が旧市街、アルトシュタット。北はブルク広場に通じるミューレン通りから南はカール広場までの一画だ。
ライン川河畔のブルク広場には、かつての城門の塔だった白い塔が立つ。現在は船の博物館になっている。河岸通りを渡った先は、ケルンとデュッセルドルフを結ぶ定期船の船着場だ。
ブルク広場の南側の一画は市庁舎。建物の前にあるマルクト広場の中央にはデュッセルドルフに繁栄をもたらしたプファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘレムの騎馬像が立つ。
マルクト広場から東へ真っすぐ延びるのが旧市街のメインストリートのボルカー通り。両側には居酒屋やバーが軒を連ね、その数は200軒以上。あまりの多さに世界一長いカウンターのある通りと例えられるほど。ボルガー通りの中ほどの53番地には、ハインリッヒ・ハイネの生家跡があり、現在ではビア・レストランになっている。
マルクト広場から南へ通じるベルガー通りには自家醸造のアルトビアが飲める数少ないビア・レストラン、ツム・ユーリゲがある。
2008年9月23日火曜日
映画「陰日向に咲く」 原作劇団ひとり 監督平川雄一朗 脚本金子ありさ☆
「陰日向に咲く」釈迦に説法とは存じますが劇団ひとりの小説です。読みたいけど買いたく無いという我儘な理由から図書館に予約を半年ほど前からいれてあるんです。でも大人気で未だ読めていません。先日TUTAYAのカード更新の際に思わずDVDを借りてしまいました。予想外の感動作でした。些細な幸せを簡単に投げ出してはいけないし、照れくさくても増やさなくては…なんておセンチなコメントになっちゃいました。
2008年9月22日月曜日
2008年9月19日金曜日
稲盛和夫 講演「人生の王道」☆
「一国は一人を以って興り、一人を以って亡ぶ」リーダーが心得を間違うと組織がだめになる。
昭和30年に卒業して最初の入った会社は戦後以来10年赤字の会社で初任給も遅れる状態だった。5人入社して秋までに4人辞めた。碍子の会社だった。セラミックスの研究が最初の仕事で結構成果をだした。27歳のとき技術部長と意見が合わなくてその会社を辞めた。自分のセラミックスの技術を周囲の人も評価してくれて資金を出してくれたので会社を作った。最初は自分の技術を世に問いたかっただけだった。
会社を作るとすべて細かいことも決めなくてはならない。問題は判断基準を自分の中にもっていなかったことで、困った。そこで、唯一小さいころから慣れ親しんだ「人としてやって良いことと悪いこと」というプリミティブな判断基準で物事を決めることにした。善悪である。
「敬天愛人」
従業員が団体交渉をしてきたことがある。当時2間の市営住宅に住んでいたが、そこに全員入れて2日間話をした。従業員の生活を何とか安定的にする方向の経営を約束してしまった。技術者の夢「稲盛和夫の技術を世に問う会社」から「従業員の生活のための会社」になってしまった。
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものだが、この始末に困る人でなくては、艱難をともにして国家の大業を成し得るものではない。経営者は自己犠牲の精神なしにはありえない。労使の心が通じないことに多くの問題がある。常に会社経営は不安だったので、できるだけ私人の時間を減らし公人の時間を増やした。無私が大切である。
食べ物が少なくお腹が空いているときに、母親が子供に先に食べ物を与えるのは本能です。経営者が従業員にそれを行うのは大変困難です。しかし理性を使い行えば必ず人はついてきます。
自分を鍛えるのは日々の反省です。
2008年9月18日木曜日
新スカートの風 呉善花 角川文庫
2008年9月14日日曜日
2008年9月13日土曜日
2008年9月12日金曜日
2008年9月11日木曜日
続 スカートの風 呉善花 角川文庫
2008年9月9日火曜日
スカートの風 呉善花 角川文庫☆
2008年9月8日月曜日
真壁昭夫 講演:今年の日本経済を読む☆
日本のバブルは1985~1989.アメリカのIT株式バブルは1995~2000.その後IT株から引き上げた資金は不動産へと流れ2006年6月まで不動産バブル。バブルとは特定の資産が上がる理屈が成り立ちこと。3~4年で3~4倍になること。・・・ITと不動産ダブルのバブルの後の調整はあと半年から1年はかかる。
バブルとの付き合い方。1、付き合わない 2、早く乗って早く降りる。(頭と尻尾はくれてやれ)
ファニーメイとフレディーマックで全米の住宅ローン債権の4割を持っていると言われている。しかも、両社ともに独立した民間企業であるにもかかわらず、その成り立ちから何かあったら政府が助けると思われていた。両社に金をかした者も安い金利で貸していた。だから、資金がジャブジャブで4割までいってしまった。(今日9月8日の日経の朝刊に「米住宅公社 政府管理に」と出ていた。公的資金注入を前提に・・・)
ちなみにデカップリング論については、中国のGDPは4割が輸出に頼っている。日本は17%短期的には依存による影響が大きいと思われる。
・日本の潜在成長率は1.5%。
・今後の円ドルは円高傾向。(ただし、協調介入の話もある)
・ベアスターンズで終わりではなさそうだ。
・日本の金利は、米国経済が弱すぎて上げられない。
・日本経済は柔構造。需要が拡大しても価格が上がらずに残業して供給を増やしちゃう。
・ヘッジファンドの決算期は3,6,9,12月。解約が出ると値段に関係なく売りに出る。45日前までに解約指示が必要。今年は8月13日に原油が大きく揺れた。次は11月半ば前。
・麻生氏はジャブジャブ論者。一時的には景気を支えるかもしれないが効果はない。
・11月にまた建築基準法が変わり構造建築士が分かれる。その影響で7月若干良くなっただけ。土地については、下がれば中国系が買いたがっている。
2008年9月7日日曜日
ぐるなび 滝久雄☆
起業・ベンチャーに関する講演会を聞いてきました。
氷山の一角が水面に出ている。これを見て潜在需要を感じて起業する。それでは遅い。すでに兆候が現れたならば既存の起業がとっくに気がついている。
サラリーマン3年目で会社を辞めて渡米した。何でも体験しようと動き回った。そこで、意外なことを言われた。最近アメリカは光化学スモッグが問題になっているので鉄道網を発達させなければならない。対して日本は世界一鉄道が整備されていたことを知った。さらに、私鉄は一本の鉄道から周辺ビジネスで国鉄の10倍稼いでいた。逆に言うと国鉄は10分の1しか使えていなかった。そこで、駅をクリエイトしたいという点から始まった。
表通りのレストラン。何か食べたいねと言いながら表を歩き手ごろな店に入って食事をする。飲み会は店を良く知っている人が幹事だったし、普段は駅周辺の店で適当に飲んでいた。レストランは場所がすべてだった。表通りの1Fのレストランと裏通りの2F3Fのレストランでは地代が200万円以上違ってもおかしくない。
ぐるなびは「店を決めてから食べに行く」事前意思決定を行わせるという変化を起こした。
最初はリアルタイムの情報は高すぎて儲からなかった。駅の案内端末など技術と資金を蓄えたから持ちこたえられた。撤退も考えた。
そこでIT革命が起こる。通信コストが2桁下がった。
電話帳に載っているレストランは2500件。東京のレストランは10万件。魚はいっぱいいた。一気にレストランとの契約を広げた。しかし、氷山が頭を出せば必ず大企業が参入してくる。サイトのページを見やすくするために惜しまず投資をした。男性ばかりがインターネットをしているころに、ぐるなびは、女性も見に来るサイトとして注目されるようになった。
順調なときは落とし穴がある。突然解約が相次いだ時期があった。有志で寝ずに調査をする決死隊を編成し調べた。行過ぎた効率重視であった。具体的には、新規開拓の得意な営業が講口座を作るとすぐ問題解決が得意な営業に担当を替えていた。お客様には良いようだが人と人との絆が断ち切られたために解約されたいた。
問題が起きたらすぐに気がつくこと。気がついたらすぐに手を打つこと。これが、結果として一番痛みが少ないと思う。
撤退について。社長が言ったことについては絶対に前に進め続けなければいけない。ダメだと社長が確信したら何が何でも止めなくてはならない。確信するまではGOである。
2008年9月6日土曜日
フォーバル 大久保秀夫☆
起業、ベンチャー立上げに関する講演会を聞きに行きました。
社長の大久保氏はもともと起業など考えていなかった。弁護士試験を受けては落ちての末、とある会社に入った。総務部系の仕事を通じて、電話機ビジネスを思いついた。
当時は基本料+通話料+電話機のリース料を電電公社に支払っていた。その電話機のリースに目をつけたのである。当時は何の疑問も持たず、20,000円の電話機を毎月リース料を1,000払い続けていた。2年かからずに償還できるはずだが何年も気にせず支払い続けてた。さらに電電公社から借りるのが当たり前だと思っていた。法律上1台目は電電公社から、2台目以降は自由だったのに。そして、機能の多くついた機種をリースした。どんどん伸びた。・・・電電公社も看過できないようになると危機感を感じた社長は、同業他社をどんどん作った。社員は大反対だったが、仲間を増やすことで戦えるようになった。
その後、市外通話が高いことに不満を持った。ソフトバンクの孫社長と組んで一番安い通信会社を自動的に選ぶルーターを作る事を決めた。今まで市外通話はNTTのほぼ独占だったところを日本テレコムなどに自動的に振り分けられる仕組みである。2人はまだ30代と20代だった。(このことは孫氏の著作にも書かれている)金は西部グループの堤氏に半分出してもらい、残りの半分は堤氏の紹介で第一勧銀が貸してくれた。そのルーターをどう普及させるかが課題であった。33億円分100万台無料で配った。そして、自動的に売上が上がる日本テレコム等から利益の10%をもらった。
「モノは売るよりも貸したほうが、貸すよりも配ったほうが利益は大きい」
その後は国際電話をNYに集めてから安い通信会社に振り分ける方法で安くした。
IPフォンの品質を上げることで世界中7.5円/minにした。
何か儲かることはないかと探しても見つからない。不便なことを少しでも良くしたいと愚直にがんばることが結果利益をもたらすことがある。ただし、机上で100%ユーザーにメリットがある状態にして初めて60%くらいのシェアが取れる。完成度の低いビジネスモデルで絶対に成功はしない。
2008年9月5日金曜日
スカイ・クロラ 森博嗣 中央公論新社☆
”僕はまだ子供で、ときどき、右手が人を殺す。その代わり、誰かの右手が、僕を殺してくれるだろう。”
”「その画期的なエンジンのために、何が必要?予算?それとも時間?」「理解」笹倉は答えた。当然だ。しかし、それだけは得られないだろう。理解ほど、貴重で入手が困難なものはない。”
”「昔、この国は海から魚や鯨を捕った。それを食べるためにね。それを世界中から非難されたんだ。でも豚や牛を食用にすることは世界の常識だったわけで、その違いは何かって言うと、つまりは、自然のものか、食べるために人間が養殖したものか、という違い。この違いってどう?」「馬鹿馬鹿しい」「自然に生まれた人間は戦っちゃいけないけれど、戦うために人工的に作られた人間なら、それが許されると言う理屈?」”
”周りのみんなは理由を沢山用意する。この世は、うんざりするほど理由でいっぱいだ。ゴミのように理由で溢れている。”
2008年9月4日木曜日
売上高を構成する5つの要素
売上高は既存分野の売上高と新規事業の売上高に分けられる。
そして、既存分野の売上高は1、既存顧客の維持 2、シェアの拡大 3、市場の成長 4、周辺事業がある。さらに新規事業として新市場・新技術が考えられる。
そして、既存分野の売上高は1、既存顧客の維持 2、シェアの拡大 3、市場の成長 4、周辺事業がある。さらに新規事業として新市場・新技術が考えられる。
2008年9月3日水曜日
プロフィットゾーン・プロフィットプールの視点
例えば、パソコン産業については、商品と流通がユーザーコスト、純利益ともに低いことがわかる。
それは、部品、商品、流通、サービスなど各分野において、ユーザーコストの占める割合と純利益の割合を比較するとわかる。
プロフィットプールは各事業分野の売上シェア(売上構成比)を横軸に営業利益率を縦軸におく。すると事業分野ごとの利益額の比較が縦×横面積で比較しやすい。
各事業分野とは自動車産業で例えると部品製造、自動車製造、新車販売、中古車販売、メンテナンスサービス、販売金融、自動車保険などである。
それは、部品、商品、流通、サービスなど各分野において、ユーザーコストの占める割合と純利益の割合を比較するとわかる。
プロフィットプールは各事業分野の売上シェア(売上構成比)を横軸に営業利益率を縦軸におく。すると事業分野ごとの利益額の比較が縦×横面積で比較しやすい。
各事業分野とは自動車産業で例えると部品製造、自動車製造、新車販売、中古車販売、メンテナンスサービス、販売金融、自動車保険などである。
2008年9月2日火曜日
ストラテジーキャンパス:選択と集中の意味
~競合相手は、顧客ニーズに対して選択と集中を徹底しつつ、高い顧客満足度を実現している。~
価格、デザイン力、品質、特注対応、営業対応、納期遵守、納期スピード、アフターサービス、総合満足度などの競争の要因について顧客の評価を比べてみよう。
競合他社とどの点で優位でありどの点で劣位だろう。そして、優位な点は顧客の真のニーズなのだろうか。顧客の重視するポイントに力点を置いた展開が必要だ。
価格、デザイン力、品質、特注対応、営業対応、納期遵守、納期スピード、アフターサービス、総合満足度などの競争の要因について顧客の評価を比べてみよう。
競合他社とどの点で優位でありどの点で劣位だろう。そして、優位な点は顧客の真のニーズなのだろうか。顧客の重視するポイントに力点を置いた展開が必要だ。
2008年9月1日月曜日
営業利益ベースで見た顧客と収益構造
~内なるプロフィットゾーンのマネジメント~
多くの企業において全体の2~4割の顧客が営業利益の6~8割をもたらし、約3~4割に顧客が営業利益を減少させている場合が多い。
重要なことは利益貢献をしている顧客をどう守るか。そして営業利益を減少させている顧客にどのように対応するかという顧客別の収益管理の仕組みを導入することである。
良い顧客は会社の資産。資産には投資をしなければならない。
利益が出ない顧客には固定費を使わずに別のマネジメントが必要。
多くの企業において全体の2~4割の顧客が営業利益の6~8割をもたらし、約3~4割に顧客が営業利益を減少させている場合が多い。
重要なことは利益貢献をしている顧客をどう守るか。そして営業利益を減少させている顧客にどのように対応するかという顧客別の収益管理の仕組みを導入することである。
良い顧客は会社の資産。資産には投資をしなければならない。
利益が出ない顧客には固定費を使わずに別のマネジメントが必要。
2008年8月31日日曜日
小島勇 日能研前社長
日能研と言えば、お世話になった方も多くいらっしゃると思いますが、中学校受験で有名な塾です。Nのマークの付いた鞄を町で見ることも少なくありません。
その日能研の小島前社長の「新規事業立ち上げ」についての講演を聴いてきました。
会社を作るなら、自分のビジネスを好きになれ。既存の同業他社の1.5倍以上働かなくてはいけないのだから、好きでなくてはやってられない。立ち上げてすぐの小さい会社ならば、経営者は頭を使ってうまくやろうとしてはいけない。まず、何でも体を使う。何でも自分でやる。少し大きくなったら頭を使う。もっと大きくなったら心を使う。
小さい会社のときは、ともかく従業員を大事にしなくてはいけない。愛さなくてはいけない。毎日送り迎えをしたり、食事をご馳走したり、旅行に行ったり。高い金は払えない、欲しいだけの人材も手に入らない。だから社長に心底惚れさせなくてはいけない。少し大きくなったら休みを増やすとか制度的に優遇することも必要。
コストをかけずに差別化を行う。日曜日は休まないで自分が働けばその分コストは増えない。だから日曜日に塾を休んだ子の家に訪問して、遅れないように教えてあげる。すると親は喜ぶし、子は休まなくなった。
お金ができたら奥さんではなく客に使わなくてはいけない。従業員に使わなくてはいけない。奥さんの生活レベルは一度上げると下げられない。少しでも駅の近くに教室を移す。内装やトイレをきれいにするなどにお金を使う。家を買うくらいなら社宅を建てていざとなったら売れるようにしたほうが良い。
言われてやるのは作業だから人に言われる前に相手の望むことをやったほうが良い。
時間を守れ、約束を守れ。(約束を守らないのは不渡りと同じ。信用の問題)
会社が小さいうちは社員の自宅にも行け。とことん知ろうとしろ。社員の誕生日や社員の奥さんの誕生日、結婚祝いに花を贈ったり、子供の誕生日におもちゃを贈った。初任給に孝行手当てとして少し現金をつけた。
生花をもらうことがある。必ず一緒に写真を撮ってお礼状に添える。
どうすれば周囲の人を喜ばせられるかを考え、行動し続ければ必ずお金は入ってくる。
大事なのは自分との約束を守らないと勝つことはできないと言うことだ。
その日能研の小島前社長の「新規事業立ち上げ」についての講演を聴いてきました。
会社を作るなら、自分のビジネスを好きになれ。既存の同業他社の1.5倍以上働かなくてはいけないのだから、好きでなくてはやってられない。立ち上げてすぐの小さい会社ならば、経営者は頭を使ってうまくやろうとしてはいけない。まず、何でも体を使う。何でも自分でやる。少し大きくなったら頭を使う。もっと大きくなったら心を使う。
小さい会社のときは、ともかく従業員を大事にしなくてはいけない。愛さなくてはいけない。毎日送り迎えをしたり、食事をご馳走したり、旅行に行ったり。高い金は払えない、欲しいだけの人材も手に入らない。だから社長に心底惚れさせなくてはいけない。少し大きくなったら休みを増やすとか制度的に優遇することも必要。
コストをかけずに差別化を行う。日曜日は休まないで自分が働けばその分コストは増えない。だから日曜日に塾を休んだ子の家に訪問して、遅れないように教えてあげる。すると親は喜ぶし、子は休まなくなった。
お金ができたら奥さんではなく客に使わなくてはいけない。従業員に使わなくてはいけない。奥さんの生活レベルは一度上げると下げられない。少しでも駅の近くに教室を移す。内装やトイレをきれいにするなどにお金を使う。家を買うくらいなら社宅を建てていざとなったら売れるようにしたほうが良い。
言われてやるのは作業だから人に言われる前に相手の望むことをやったほうが良い。
時間を守れ、約束を守れ。(約束を守らないのは不渡りと同じ。信用の問題)
会社が小さいうちは社員の自宅にも行け。とことん知ろうとしろ。社員の誕生日や社員の奥さんの誕生日、結婚祝いに花を贈ったり、子供の誕生日におもちゃを贈った。初任給に孝行手当てとして少し現金をつけた。
生花をもらうことがある。必ず一緒に写真を撮ってお礼状に添える。
どうすれば周囲の人を喜ばせられるかを考え、行動し続ければ必ずお金は入ってくる。
大事なのは自分との約束を守らないと勝つことはできないと言うことだ。
2008年8月30日土曜日
別冊図書館戦争Ⅱ 有川浩 アスキー・メディアワークス☆
2008年8月29日金曜日
美女と竹林 森見登美彦 光文社☆
2008年8月15日金曜日
2008年8月14日木曜日
2008年8月13日水曜日
2008年8月12日火曜日
財務分析 EBITA
EBITA(Earning Before Interest, TAX, Depreciation and Amoritization)
EBITA=税引前利益+支払利息+減価償却費
EBITA=税引前利益+支払利息+減価償却費
財務分析 生産性分析
生産性分析
1、生産性=付加価値÷(労働+設備)×100
2、労働生産性=付加価値÷従業員数×100
3、1人当たりの売上高=売上高÷従業員数
4、付加価値率=付加価値率÷売上高×100
5、設備生産性=付加価値÷有形固定資産×100
6、有形固定資産回転率=売上高÷有形固定資産×100
7、労働装備率=有形固定資産÷従業員数
1、生産性=付加価値÷(労働+設備)×100
2、労働生産性=付加価値÷従業員数×100
3、1人当たりの売上高=売上高÷従業員数
4、付加価値率=付加価値率÷売上高×100
5、設備生産性=付加価値÷有形固定資産×100
6、有形固定資産回転率=売上高÷有形固定資産×100
7、労働装備率=有形固定資産÷従業員数
2008年8月11日月曜日
財務分析 収益力の分析
収益力の分析
資本利益率=当期利益÷投下資本×100
売上高利益率=当期利益÷売上高×100
資本回転率=売上高÷投下資本
ROA(Return on Accet)
投下資本は一般的には総資産をつかう。
売上高利益率・・・悪化したら無駄な費用を節約する
資本回転率・・・悪化したら無駄な資産を減らす
総資本事業利益率=事業利益÷総資本×100
事業利益=営業利益+金融収益
社債格付け基準として使われる。
ROE(Return on Equity)
自己資本利益率=当期利益÷自己資本×100
自己資本利益率=売上利益率×資本回転率÷自己資本比率
資本利益率=当期利益÷投下資本×100
売上高利益率=当期利益÷売上高×100
資本回転率=売上高÷投下資本
ROA(Return on Accet)
投下資本は一般的には総資産をつかう。
売上高利益率・・・悪化したら無駄な費用を節約する
資本回転率・・・悪化したら無駄な資産を減らす
総資本事業利益率=事業利益÷総資本×100
事業利益=営業利益+金融収益
社債格付け基準として使われる。
ROE(Return on Equity)
自己資本利益率=当期利益÷自己資本×100
自己資本利益率=売上利益率×資本回転率÷自己資本比率
2008年8月10日日曜日
財務分析 安全性分析
安全性分析(倒産しないかどうか)
1、流動比率=流動資産÷流動負債×100(150%以上が優)
2、固定比率=固定資産÷自己資本×100(100%未満が望ましい)
3、自己資本比率=自己資本÷総資産×100(50%以上が優)
1、流動比率=流動資産÷流動負債×100(150%以上が優)
2、固定比率=固定資産÷自己資本×100(100%未満が望ましい)
3、自己資本比率=自己資本÷総資産×100(50%以上が優)
2008年8月9日土曜日
財務分析 損益分岐点分析
損益分岐点分析
Y=固定費÷限界利益率
限界利益率=1-変動費÷売上高
固定費は操業度にかかわりなく、一定期間における総額が変化しない費用。
変動費は操業度の増減に応じて、一定期間の総額が比例的に変動する費用。
限界利益は売上高から変動費を差し引いた残額。
限界利益率は売上高と限界利益との割合。
Y=固定費÷限界利益率
限界利益率=1-変動費÷売上高
固定費は操業度にかかわりなく、一定期間における総額が変化しない費用。
変動費は操業度の増減に応じて、一定期間の総額が比例的に変動する費用。
限界利益は売上高から変動費を差し引いた残額。
限界利益率は売上高と限界利益との割合。
2008年8月8日金曜日
財務分析 決算書の限界
決算書の限界
1、過去の数字の結果である。
2、土地などのインフレ(含み資産)が説明できない。
3、人の質がとらえられない。・・・モノとカネの表示
4、粉飾決算の可能性がある。
5、その他
1、過去の数字の結果である。
2、土地などのインフレ(含み資産)が説明できない。
3、人の質がとらえられない。・・・モノとカネの表示
4、粉飾決算の可能性がある。
5、その他
2008年8月4日月曜日
世界が愛した日本 四條たか子著井沢元彦監修 竹書房
2008年8月1日金曜日
異形の大国 中国 彼らに心を許してはいけない 櫻井よしこ 新潮社
中国はアジアの覇権を狙っている。そのために軍事力をつけている。特に海、深海、宇宙で米国と争う姿勢だ。日本との交渉を有利に進めるためなら真実と異なる歴史も捏造する。世界中でそれを宣伝する。
米国は民主主義の国です。同盟国とは言え米国人の選挙結果如何では中国寄りになることもありえるのです。自国は自国で守れるようにならなくては中国が朝鮮半島、台湾、南シナ海、東シナ海、日本海を飲み込む頃には日本の自由は完全に失われるでしょう。中国は大西洋と太平洋を視野に入れているのです。
中国がいかにひどい論理で外交を行っても、いかに嘘の歴史を宣伝しても日本が反論しなければそれは世界が”本当”と認めてしまうことがあるのです。
是非読んでいただきたい。
2008年7月23日水曜日
企業再生バイブル 立川昭吾 経済界
2008年7月22日火曜日
経営論 宮内義彦 日経ビジネス文庫☆
2008年7月18日金曜日
静物画の秘密展 国立新美術館
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