2008年6月5日木曜日

野澤正平氏 日産センチュリー証券㈱代表取締役社長(元 山一證券㈱代表取締役社長)

 人材創造フォーラムというのに参加して講演会を聞いてきました。講演内容は「営業リーダーの役割と育て方」で、山一證券の最後の社長だった方です。
 『すべての個人は意欲と能力を持っている』営業の原点は変わらない。営業とは『人の前に立て。これで80%営業できたと言って良い。そして、自分を売り込んで信頼を得る。悩みを聴いて一緒に解決すれば残り20%』
 長野県の農家の4男として生まれた。両親は大学に行くことも東京に出ることも許していたので兄3人は野澤氏が高校を出る頃には居なかった。そして、家にあまり余裕もなくなっていた。そこで3年間農作業を手伝った。その頃からお酒が好きで、飲み代を稼ぐ為に(おそらく学費を稼ぐことが目的だと思いますが)一生懸命働いた。このとき土木系の監督の仕事もした。そこで野崎氏は学ぶ、『人を動かすのは”ハート”だ』
 3年働いてから6大学で一番学費の安い法政大学に行った。しかし、酒好きは納まらず飲み代を稼ぐ為に(?)4年間横浜の材木商でバイトをした。ここで、誰も見ていなくても嫌がることを進んでやった。就職が決まって辞めるときに材木商の女将さんが、何かプレゼントをしたいと言ってくれた。断ったが、食いっぱぐれないように自動二輪の免許を取らせてくれた。そこで、『人に尽くすこと』を学んだ。
 昭和39年に入社し、昭和45年まで個人営業、昭和47年から昭和57年まで本社で法人事業部、その後やっと部下ができた。支店長になった。
 会社に来て部下とすれ違う時に、部下の顔を見る。目が赤くてうつむき加減だったら要注意。女かサラ金か家庭の悩みを抱えている。『早く悩みを見つけて、一緒に解決する』。例えば、サラ金から借りた金を部下の親類を集めて返させる。そこまで関わる。・・・そして何としても親類に返済出来るように成功させる。 例えば家族が病気で心配していたら、自分が車を出して病院に送って行った。・・・部下の奥さんは「家族を大事にする上司のために頑張れと尻を叩いてくれる」どちらも業績アップにつながる。
 中長期計画を立てる営業企画部に移った時は計画なんて作れないから大変だった。出来ないことはせずに新人営業の教育に力を入れた。当時日々の新人教育は現場の支店長に任せられていたが、支店長は忙しくそれどころではないことを知っていたからだ。チームを作って『お茶の飲み方、アポイントの取り方、話の仕方』など基本的なことを教えた。
 リーダーに望んだことは、会社の考えを全員にひとり残さず理解させることだった。支店に行ってまずすることは、パートや契約社員の女性に支店長からされた話を確認することだった。徹底できていない支店長は、新天地で頑張ってもらった。
 山一証券がもうダメだという時、解雇通告通知書を渡す時はつらかった。だから、再就職を一生懸命支援した。そしてどういう人を企業が求めているか分かった。『誠実さと、資質』だった。両方を野澤氏が請合った。ダメなら辞めさせて欲しいと、責任もって一緒に再就職を手伝うからと言ってお願いした。野崎氏は会社が無くなって5年経っても再就職の手伝い続けた。

講演を聴いて「営業リーダーの役割と育てかた」は野崎氏をいかに作るかなのだろうと思う。自らよく働き、部下をよく観察し部下の人生にどっぷりと関わる。”リーダーは責任を持つ”という言葉を聞くが実践することはこういうことかと思い知らされた。

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